すべての人は罪を犯した 神は人を創造された
初めに、神が天と地を創造した。 創世記一章一節 神がこのように、人をご自身の形に創造された。 神の形に彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。 初めに、天と地上を作られた神は神の姿に似せて人間をお作りになりました。神は宇宙、木、海の生き物、鳥そして地上のすべての生き物をお作りになりましたが、人間だけは神の姿のように作られました。 神自身の姿 作られた 人は生きた魂であった
その後、神である主は、土地のちりで人を形づくり、その鼻に命の息を吹き込まれた。そこで、人は、いきものとなった。 創世記2章7節 人は神の創造したすべてのものの中で、神が唯一命の息を吹き込まれました。神は人と動物を区別して作られました。人間には肉体があるだけではなく、生きた魂を持っていたからです。 神 → ○ 神の一つの命令
神である主は、その土地から、見るからに好ましく食べるのに良いすべての木を生えさせた。 園の中央には、いのちの木、それから善悪の知識の木とを生えさせた。 神である主は、人を取り、エデンの園に置き、そこを耕させ、またそこを守らせた。 神である主は、人に命じて仰せられた。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。 しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。」 創世記2章9、15~17節 神はエデンの園に多くの種類の木を植えました。園の中央には命の木と、善悪の知識の木と 呼ばれている二本の重要な木がありました。神は一つの例外を除いて、彼らが全ての美しい果樹から食べることが出来ると言いました。重要な二本の木のうちの一本(善悪の知識の木)に関して、神は「食べてはならない!」と言いました。木から取って食べる事を禁ずるだけではなく、彼がそれを食べたその時、彼は必ず死ぬとも約束しました。 いのち 善悪の知識の木 食べる=死ぬこと 人は神に従わなかった
そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、 賢くするというその木はいかにも好ましかった。 それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。 創世記3章6節 ヘビによってだまされて、説得されたあげくに彼女は果物を食べました。木とその果物の美しさを見て、賢くなれると信じて、彼女はそれを食べ、彼女の夫にも与え、そして彼も食べました。 しかし思い出してください、神は仰せられました。 「あなたがそれを食べる日」⇒「あなたは必ず死ぬ」 アダムは食べた ⇒ 彼は死んだのか? 聖書は何と言っていますか? ローマ4章3節 彼は死んだのか?
このようにして、二人の目は開かれ、そこで彼らは自分達が裸であることを知った。 そこで、彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分達の腰のおおいを作った。 創世記3章7節 それで彼らは死んだのでしょうか?彼らの目は開かれました。そして自分達のエプロンを縫いましたが、肉体的には彼らは元気でした。アダムとエバが肉体的に死ななかったのはこの箇所から見て明らかです。しかしながら神は実にはっきりと言いました。 「それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ」 創世記2章17節 彼らは死んだのです! ○ → 実を食べた → 霊的な死 人の霊的な死
そよ風の吹くころ、彼らは園を歩き回られる神である主の声を聞いた。それで人とその妻は、神である主の御顔を避けて園の木の間に身を隠した。 神である主は、人に呼びかけて、彼に仰せられた。「あなたは、どこにいるのか。」 彼は答えた。「私は園で、あなたの声を聞きました。それで私は裸なので、恐れて、隠れました。」 創世記3章8~10節 聖書の中で彼らが神に従っていた時のことを思い出してください。 創世記2章25節、 「そのとき、人とその妻は、ふたりとも裸であったが、互いに恥ずかしいと思わなかった。」 彼らは禁断の実を食べた後に、自分達が裸であることを知り、エプロンを作り、神の存在から隠れ、神がアダムを呼んだとき彼は恐れました。彼らの中で肉体的なことではない、何かが確かに起こりました。その変化は体の中にありました。彼らは神が約束したように死んだのですが、その死とは肉体的な死ではなく、むしろ霊的な死でありました。 実を食べた 恥じる、 隠れる、 恐れる 聖書の別の箇所では、 あなたがたは・・・死んでいた者であって・・・ エベソ2章1節 ・・・あばた方は死んだ者あったのに・・・ コロサイ2章13節 アダムの息子の場合は?
アダムは、百三十年生きて、彼に似た、彼のかたちどおりの子を生んだ。 彼はその子をセツと名づけた。 創世記5章3節 アダムが息子を生んだとき、子供が彼の父であるアダムに似てかたちどおりであると書かれています。 アダムは神の形に似せて作られました。セツは霊的に死んでいる父アダムとかたちどおりに生まれました。従って、セツもまた生まれたときから霊的に死んでいることになります。 すべての人にとって同じ真理
何が起こったのかもっと良く理解するためにはローマの5章12節を読んでください。 そういうわけで、ちょうどひとりの人によって罪が世界にはいり、 罪によって死がはいり、こうして死が全人類に広がったのと同様に、 ――それというのも全人類が罪を犯したからです。 ローマ5章12節 父→息子→孫 ひとりの人間アダムを通して罪は世界に入り込みました。結果は霊的な死です。全ての人間、すなわちアダムの全ての子孫が生まれながら霊的に死んでいるように、それからすべての人間に渡りました。 あなたにとっても同じ真理
アダムが神に反抗した後の彼の子孫に関して下の3節を考慮してください。 ただし、恵みには違反のばあいとは違う点があります。 もしひとりの違反によって多くの人が死んだとすれば、 それにもまして、神の恵みとひとりの人イエス・ キリストの恵みによる賜物とは、多くの人々に満ちあふれるのです。 ローマ5章15節 こういうわけで、ちょうど一つの違反によってすべての人が罪に定められたのと同様に、 一つの義の行為によってすべての人が義とみとめられて、 いのちを与えられるのです。 ローマ5章18節 すなわち、ちょうどひとりの人の不従順によって多くの人が罪びととされたのと同様に、 ひとりの従順によって多くの人が義人とされるのです。 ローマ5章19節 アダムの肉体の子孫は霊的に死んでいるだけではなく、神によって聖書の罪びとと定められています。しかし、この状態は一つの違反によっては起こらなかったと思い出してください。
もしアダムとのつながりが私達に霊の死をもたらすならば・・・ もしアダムとのつながりが私達を罪に定めるなら・・・ もしアダムとのつながりが私達を罪人にするならば、 いつ、私達はアダムと結びついたのでしょうか? それは私たちの出生のときからです。 ああ、私は咎ある者として生まれ、 罪ある者として母は私をみごもりました。 詩篇51章5節 私たちが生まれるまさにその瞬間から、私達はアダムとのつながりを持っています。私達は二つの目、鼻、そして聖書によると死んだ魂を持ちます。だから私達のすべては、みごもったその瞬間から人類のメンバーであり、アダムの子孫であり、死者であり、咎ある者、そして罪びとなのです。 それは書かれた
これは神がアダムの子孫としての人の自然な存在について語ることです。 主は天から人の子らを見おろして、神を尋ね求める、 悟りのあるものがいるかどうかをご覧になった。 彼らはみな、離れて行き、だれもかれも腐り果てている。 善を行う者はいない。ひとりもいない。 詩篇14章2~3節 この地上には、善を行ない、罪を犯さない正しい人はひとりもいないから。 伝道者の書7章20節 私たちはみな、羊のようにさまよい、 イザヤ書53章6章 私たちはみな、汚れた者のようになり、私たちの義はみな、不潔な着物のようです。 私たちはみな、木の葉のように枯れ、私たちの咎は風のように私たちを吹き上げます。 イザヤ書64章6節 それは、次のように書いてあるとおりです。「義人はいない。 ひとりもいない。悟りのある人はいない。神を求める人はいない。 すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。 善を行う人はいない。ひとりもいない。」 ローマ3章10~12節 そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、
空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの
中に働いている霊に従って、歩んでいました。
私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、
自分の肉の欲の中に行き、肉と心の望むままを行い、
ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし・・
エペソ2章2、3、5章 あなたがたは罪によって、また肉の割礼がなくて死んだ者であったのに・・コロサイ2章13章 すべての人は罪を犯した
結論として、“1人の人によって罪は世界に入り込みました。そして罪による死はすべての人に渡りました。”人類の一員である人すべてに。
次の題目:罪の報酬は死である
関連した記事
|