なんぢら信仰に居るや否や、みづから試みよ…

次の手紙は、教会に定期的に通っているある人に宛てて書かれたものです。心配なのは、その人がサタンの最大の欺きの一つ—教会に行き、正しい言葉をすべて口にし、正しい伝統をすべて守り、自分は真にクリスチャンだと心から信じながら、人生の終わりになって、実は本当に救われていなかったと分かる—に陥っているかもしれないということです。

これは、教会であなたの隣に座っている人かもしれません。どうか、この真理を分かち合うことでその人を助けてください。キリストが和解の務めを私たちに委ねられたのですから。

これらの事はみな神より出づ、神はキリストによりて我らを己と和がしめ、
かつ和がしむる職を我らに授け給へり。
即ち神はキリストに在りて世を己と和がしめ、その罪を之に負はせず、
かつ和がしむる言を我らに委ね給へり。
コリント第二 5:18-19

親愛なる友へ

先週一緒に過ごして話した時間を、私はとても楽しみました。あなたが私たちの話したことをよく考え、これからも考え続けてくださることを祈ります。

あなたが「私は信じている」という表現を使うことが、私はとても心配です。「信じる」ということばは、サタンが人々を欺いて、神の前での自分の本当の立場について誤解させるために使うことがあります。どうか、次の聖句を祈りをもって考え、心から神にこう尋ねてください。「主よ、私はあなたの前でどこに立っているのでしょうか」。

どうか、「信じる」ということについて神のみことばが何と言っているかを考えてみてください。

それ神はその獨子を賜ふほどに世を愛し給へり、
すべて彼を信ずる者の亡びずして、
永遠の生命を得んためなり。
ヨハネ 3:16
なんぢ神は唯一なりと信ずるか、かく信ずるは善し。
惡鬼も亦信じて慄けり。
ヤコブ 2:19
その日おほくの者われに對ひて
「主よ、主よ、我らは汝の名によりて預言し、
汝の名によりて惡鬼を逐ひいだし、
汝の名によりて多くの能力ある業を爲ししにあらずや」と言はん。
その時われ明白に告げん
「われ斷えて汝らを知らず」、
不法をなす者よ、我を離れされ。
マタイ 7:22-23

間違いなく、この人は神を信じていました。しかし今、神から離れて永遠を過ごしています。サタンは、「信じる」こと、「クリスチャンである」ことの本当の意味について、多くの人を欺き、混乱させてきました。

我に對ひて主よ主よといふ者、
ことごとくは天國に入らず、
マタイ 7:21

「私はクリスチャンです」と言う人がみな天の御国に入るわけではありません。「私は神を信じています」と言う人がみな天の御国に入るわけではありません。

なんぢら信仰に居るや否や、みづから試み自ら驗しみよ。
汝らみづから知らざらんや、
若し棄てらるる者ならずば、
イエス・キリストの汝らの中に在す事を、
コリント第二 13:5

神はそのみことばを通して、真の信仰の証拠を私たちに与えてくださいました。神のみことば全体を用いて、私たちは自分の信仰を試し、自分が真の信者であるか、それとも欺かれているかを見ることができます。

(以下の聖句は、イエス・キリストにある真の救いのいくつかの証拠を説明しています。)


1. すべての真の信者の人生には、新しい始まりの時、あなたの人生が変えられる瞬間があります。聖書はこれを「新しく生まれる」と呼びます。
人もしキリストに在らば新に造られたる者なり、
古きは既に過ぎ去り、視よ、新しくなりたり。
コリント第二 5:17
イエス答へて言ひ給ふ
『まことに誠に汝に告ぐ、
人あらたに生れずば、
神の國を見ること能はず』
ヨハネ 3:3

あなたの人生に、変えられた時はありましたか。


2. 聖書は、キリストのもとに来たら罪がなくなると教えているのではありません。しかし私たちはその誡命を守りたいと願うようになります。神を喜ばせ、その御心を行いたいと願うようになります。
我らその誡命を守らば、之によりて彼を知ることを自ら悟る。
『われ彼を知る』と言ひて其の誡命を守らぬ者は僞者にして眞理その衷になし。
その御言を守る者は誠に神の愛、その衷に全うせらる。
之によりて我ら彼に在ることを悟る。
ヨハネ第一 2:3-5

あなたには、神に従いたいという願いがありますか。


3. すべての神の真の子は、神の懲らしめを受けます。
そは主、その愛する者を懲しめ、
凡てその受け給ふ子を鞭うち給へばなり
汝らの忍ぶは懲戒の爲なり、
神は汝らを子のごとく待ひたまふ、
誰か父の懲しめぬ子あらんや。
凡ての人の受くる懲戒、もし汝らに無くば、
それは私生兒にして眞の子にあらず、
ヘブル 12:6-8

特定の罪のために神に懲らしめられた時を、
あなたは思い出せますか。


4. すべての真の信者には、この人生を助けるために聖霊が与えられています。しかし信者にはまた、この世に属する肉があります。ですから、すべての信者のうちに両者の間の戦いがあります。私たちは、この世のように生きるか、御霊が望まれるように—神のみことばに従い、その御心に従って生きるか、その間で試みられます。
我いふ、御靈によりて歩め、さらば肉の慾を遂げざるべし。

肉の望むところは御靈にさからひ、御靈の望むところは肉にさからひて
互に相戻ればなり。
ガラテヤ 5:16-17

この戦いは、あなたのうちにありますか。


5. 真の信者は罪を習慣的に行いません。これは、罪を犯すこととは混同すべきではありません。罪とは、神の御心に反する行いのことです。信者である私たちも、気づかないうちに何度も罪を犯します。しかし罪を習慣的に行うこととは違います。それは、神の御心を知っていながら、それに積極的に逆らい、変わろうとする意志も行動もないことです。
凡て神より生るる者は罪を行はず、
神の種、その衷に止るに由る。
ヨハネ第一 3:9

もし罪なしと言はば、
是みづから欺けるにて眞理われらの中になし。
ヨハネ第一 1:8

あなたは罪を習慣的に行っていますか。


要するに、私たちは自分自身に対して正直でなければなりません。本当に自分の心の奥底を見つめ、自分自身にこう問いかけなければなりません。

また近いうちにお会いできることを願っています。

あなたの友、
クリスチャンより


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